明日を生きよう 未知の世界へ〈?  ↑の画像日替わりに挑戦中   犯人は俺ら


by haserori

激つかれ

コメ返信
あっき~s>う~ん どこらへんから?
       なんか長くておかしくなてる??
       がんばります・・&今日はさぼり?すんませんです
ヒョーガ>あれだ 宇宙の味がする
ぴお>おつかれぇ~♪ 俺半面全滅にちかいんですがOC
∞>パナップさぁ なんかまわり手の熱でとけてこない?
ケロヨンs>ぉぉ やぱ皆寝ますよねw
       今の席掃除後の机の配置によっては丸見えorz


いやぁ 部活休んでとある会に久しく顔だしましたよ
中学生メンバ男子すくねぇよ
おかげで俺が皆おくってきました(゜Д゜)
まぁ皆としゃべれて楽しかったんだけどNE
そんで結構薄着で出てったんで死にそうでしたよ
もぅ手とかやばかったからね

そんでめでたく2名のキャンプネーム決定ですよ
もぅしらない人どんどんフエテク〈笑
がんばっておぼえなくちゃ

そんで帰宅して飯くって
課題の答えまる写ししたらもぅこんな時間だYo
ベースにさわってない (´ω`)
ってか皆送ったの結構疲れになってるっぽい
すんげぇねみぃ



んじゃぁ川端のリクエストにお答えして
『スマッピング』
・・・
でねぇよ(゜Д゜)
だいたいなんだよスマッピングって(゜Д゜)
マッピングばっか検索網にひっかかるよ

てことで『スマップ』

メンバー
現在(※年齢順)

中居正広(なかい まさひろ、1972年8月18日- A型)イメージカラーは桃。
木村拓哉(きむら たくや、1972年11月13日- O型)イメージカラーは赤。
稲垣吾郎(いながき ごろう、1973年12月8日- O型)イメージカラーは青。
草彅剛(くさなぎ つよし、1974年7月9日- A型)イメージカラーは黄。
香取慎吾(かとり しんご、1977年1月31日- A型)イメージカラーは緑。
脱退

森且行(もり かつゆき、1974年2月19日- B型)

グループ名
グループ名は「Sports Music Assemble People」の頭文字から取られた。意味は「運動と音楽を融合する人々」。前身であるスケートボーイズ(後述)のキャッチコピーが「Sports Music Assemble People」であった。 名前の由来には、ジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川のお気に入りだった尾崎豊の名曲『17歳の地図』の英訳「Seventeen’s map」からの引用であるという説や、光GENJIのメンバー、山本淳一の『週刊女性』2004年11月9日号に掲載されていた「元ジャニーズ事務所メンバー座談会」の中での発言から、光GENJIの中で社長がお気に入りだったメンバーの頭文字を取ってつけたことからである、などの説がある。しかしどちらも真偽の程は不明。


グループの歴史
グループ結成は1988年4月。結成当時の年齢はそれぞれ中居15歳、木村15歳、稲垣14歳、森14歳、草彅13歳、香取11歳。結成=CDデビューのグループが多い中、SMAPはCDデビューまでのJr内グループ期間が3年以上に渡り、その間アイドル番組やドラマ、舞台などに出演し、小中高生の間でアイドルとしての人気を確保していった。アイドル雑誌やメンバーのラジオには季節の変わり目になるとSMAPがCDデビューしないことについての疑問や怒りのハガキが届き、メンバーも「いつかはするから待っててね」のような発言を再三していた。

待望のデビューは1991年9月。当然のことながら当時SMAPを知っていたのは若い学生やいわゆるジャニーズファンが中心であり、一般認識はジャニーズのアイドル程度であった。また、彼らのデビュー時には、すでに光GENJIの勢いは無くなっていたものの、時代は空前のバンドブームの余韻を残しており、歌番組が次々と消滅し、新人アイドルを売り出す場が皆無という状況であった。SMAPはもちろん、前年にデビューした少年忍者と共に事務所としても売り出しに苦慮してたのが実情である。

しかしデビュー半年後の1992年4月、当時若者に絶大な人気を誇ったフジテレビの通称「Panasonic枠」にて、『夢で逢えたら』の後番組として開始した『夢がMORIMORI』が、彼らの転機となる。アイドルであるにも関わらず、彼らは本格的なコントを、出演しているドラマのパロディを、「アイドル」という自分たちを笑い飛ばした。当時彼らの発言に度々出てくるキーワードは「俺たちは身近にいる男の子って感じ」。「光GENJIが『ザ・アイドルそのもので王子様』だったのなら、自分たちは『みんなの身近にいる普通の男の子』だ」という発言。また、現在ではどのユニットでも当たり前のこととなっているが、彼らはCDデビュー後も個人活動を推進した。これはデビュー直後のグループとしては当時とても画期的なことだった。この個人活動の中でドラマの出演が多かった木村・稲垣・森を「ドラマ班」、バラエティ出演が多かった中居・草彅・香取を「バラエティ班」と呼ぶようになる。

それまではジャニーズの中の1アイドルに過ぎなかったSMAPが1994年頃から老若男女・多くの層への人々に普及しだし、1995年、アルバム『SMAP 007 ~Gold Singer~』で海外から大物ミュージシャン参加で話題を呼んだ。1996年、森且行が子供のころから憧れていたオートレースの選手になるためにグループを脱退(オートレースの養成学校に入れるのは23歳が上限であるため、22歳のときに脱退)。木村拓哉の人気が絶対的なものとなったのもこの頃。「視聴率は取れるが歌は売れない」と言われていたCDもそれまでの「ジャニーズ的」な曲からスガシカオ・山崎まさよしらから提供されるようになってからは「アーティスト」としての一面が強くなり、多くのミリオンセラーを記録、史上空前の大ヒットを起こした。日本全国規模で人気が急上昇し、ドラマ、バラエティ、CM、コンサート、舞台と多方面で活躍し始めた。そして今やアジア全域での認知度も高まり、知らぬものはいないほどの国民的アイドルとなった。また『ジャニーズカウントダウンライブ』や『ジャニーズ体育の日大感謝祭』など事務所を挙げたイベントには1996年10月10日の運動会を最後に参加していない。

2001年8月、稲垣吾郎が東京都渋谷区の路上に車を止めていたところ、駐車違反の取り締った警察官に怪我を負わせたとして、公務施行妨害および傷害罪ならびに道路交通法違反の現行犯で逮捕された。本来ならば事務所およびグループ脱退、芸能界引退も辞さないものの、事務所は1年間の謹慎をさせることを決めた。翌年に稲垣はSMAP×SMAPの緊急生放送で復帰した。

2003年、フジテレビドラマ『僕の生きる道』の主題歌にアルバム『Drink! Smap!』に収録された「世界に一つだけの花」が起用される。ドラマ人気と相まってこの歌も注目をあび、急遽シングルカットを行い、250万枚を超える大ヒットとなった。『第54回NHK紅白歌合戦』ではグループとしては史上初、ポップス歌手としては25年ぶりに大トリを務めるという快挙をあげた。レコード大賞の候補に選ばれたが、歌の歌詞どおり「ナンバーワンでなくオンリーワンでありたい」との理由から大賞を辞退した。

2004年、シングルを一枚も出していないということを理由に紅白歌合戦を辞退した。アルバム『MIJ』に収録された「ススメ!」がTBSのアテネオリンピック関連の番組の主題歌(「~アテネバージョン」として)になったこともあり、同曲がシングルカットされるのではないかと一部で言われていたが、結局実現しなかった。また、その年のクリスマスにスペシャルドラマ『X'smap~虎とライオンと五人の男~』にSMAP全員が出演し、話題になった。このドラマの主題歌「Song of X'smap」は当初、CD化未定となってたが、翌年発売されたシングル『友だちへ ~Say What You Will~』のカップリングとして、CD化されている。また、香取慎吾がNHK大河ドラマ『新選組!』で拘束されていたり、他のメンバーのスケジュールが合うのが『SMAP×SMAP』の収録日だけという状況だった為、コンサートツアーはなかった。従って2004年は、音楽活動がなく、殆どが個人活動だった。この為、2004年末に発売された各テレビ誌のお正月特大号では「まずは新曲を」「ライブがしたい」「プライベートや他の仕事はやり残した事は無いけど、楽曲面だけは・・・」と、SMAP5人での新曲を出せなかった事、ライブが開かれなかった事を非常に悔やんでいた(一説には、&Gの『Wonderful Life』がSMAP5人での新曲になる予定だった)。

2005年、2年ぶりにコンサートツアーを開始し、7月30日の札幌ドームを皮切りにスタートさせアーティストの単独公演としては初の国立霞ヶ丘陸上競技場でコンサートを行ったとして話題になった。ツアー開始に合わせ、シングル『BANG!BANG!バカンス!』とアルバム『SAMPLE BANG!』を同時発売し、発売当日でシングル、アルバム共にランキング初登場1位を記録し、3人組以上のグループの同じアーティストの同じ発売日のシングル・アルバムで同時に1位を記録するのは1993年のWANDS以来12年ぶりの快挙であった。以前『SMAP×SMAP』のBISTRO SMAPコーナーに宇宙飛行士の毛利衛・野口聡一が出演してこの時の勝者(稲垣吾郎・香取慎吾ペア)の料理と野口が希望した草彅剛が作ったカレーと共に、野口聡一がスペースシャトル「ディスカバリー」に乗り込んだ。また、モーニングコールとして野口聡一が「世界に一つだけの花」をセレクトし機内で流れた。また、宇宙ステーションでは、そこにあった電子ピアノで演奏もした。各メディアから「SMAP、宇宙デビュー」などと報道された。2年ぶりに出場した紅白歌合戦では2度目の大トリを努めた。またスキウタアンケートで1位に選ばれた「世界に一つだけの花」を見事歌い上げ、視聴率上げに大きく貢献し、2005年の紅白はSMAP色に染まった。日刊スポーツでは「神様・仏様・SMAP様」と書かれた。紅白の影響が強かったのか「世界に一つだけの花」がオリコンベスト100に返り咲くという現象が起きた。

2006年9月9日CDデビュー15周年を迎えた。

NHK紅白歌合戦には、1991年より、ほぼ毎年出演し、2003年と2005年は大トリで歌った。尚、2001年は稲垣吾郎の不祥事により「5人で出演できないため」、また2004年は「新曲を発表していない」との理由で、出場を辞退している。ちなみに紅白のSMAPの部分は毎年視聴率が良い。

5年毎の節目にグループへ災難が降りかかるジンクスがある。1991年のファーストコンサートに香取慎吾が骨折しコンサートに参加出来なかったことに始まり、デビュー5周年の1996年には森且行の脱退、10周年の2001年には前述の稲垣吾郎の不祥事、15周年の2006年には草なぎ剛のインフルエンザでSMAP×SMAPの収録を欠席、木村拓哉の副鼻腔炎、中居正広のはやり目、肋骨の疲労骨折、肉離れという災難が起こっている。これについて中居は「20周年は剛、突き指」とネタにしている。

スマスマなどでの普通なら芸人がする『パイ投げ』などの体を張ったコントや、ビストロなどで見せるエンターティナー性からか、『平成のドリフターズ』と呼ばれる事もある。

毎年、年末に発売される各テレビ雑誌のお正月特大号では1995年頃から表紙を飾っている(2001年末に発売された各テレビ雑誌お正月特大号は、8月に稲垣が起こした事件により謹慎中だった為、稲垣を除いたメンバー4人での表紙となった)。


長いよ・・・
ってか毛利宇宙飛行士と交流あったのにびっくり
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by haserori | 2006-12-06 22:53 | 日記?